ビザンツ帝国が記憶に残らない

ビザンツ帝国は学ぶけど。。

退屈な歴史の授業の中で、ビザンツ帝国程私の記憶に残った言葉はなかった。

なぜか分からないがローマ帝国は分裂し、

その片割れとして15世紀まで生き延びたローマ帝国の末裔。

そんな漠然としたイメージに、なぜか心が惹かれた。

ヨーロッパのように、下品なまでに華美な装飾品が無く、

品位を保ちながら威厳を保つフレスコ画やモザイク画などの芸術作品

が、ビジュアルとしても最もイメージとして残っているが、

それよりも、帝国の崩壊が判然としなかったのが私の好奇心を

いつまでも燃やし続けていた。

教科書に散り散りに表記されていたビザンツ帝国の歴史を、

独自に集めてノートにまとめたが、2ページぐらいしか集まらなかったのも

覚えているし、やけに皇帝の名前が多かったことも覚えている。

それでも、帝国が崩壊した理由はさっぱり分からなかった。

 

帝国の崩壊は分かりやすくなくて当然

 

今だったら、すっきりと説明できる。

しかし、何か特別なことが起こって一瞬で崩壊したのではなく、

それはゆっくりと進行が遅いながら、確実に命を奪う病

のように、着実に帝国を蝕んでいく構造的な問題だったゆえに、

論理力もままならない中学生の頃の私には、

到底理解できなかったのは納得できる。

 

拡張しすぎた領土によって、それを維持するのに

軍事力をアウトソーシングする必要が出てきた。

それを担うのは、ビザンツ帝国を幾度も破った周辺部族で、

安全保障的・経済的インセンティブを元に最初はコントロールできていた。

 

しかし、

アウトソーシングすることによって帝国の軍事力は衰え、

軍事力が衰えると経済力も衰えた。

これは、戦争で勝てなくなることと、商業覇権が軍事覇権への

依存関係を元に構築されていたことを考えれば、容易く想像できる。

 

お金が無くなった帝国は、

周辺への徴税を重くしなければならなくなり、

やがて重税を担う帝国民が武将を担ぎ反乱を起こし、

首都を攻撃して新しい皇帝を名乗るか、帝国から離脱する。

 

経済力も軍事力もなくなった帝国は、

一時期文化力(宗教、芸術、学問)によってその体面を保っていたが、

剣や貨幣の前に、筆は役に立たなかった。

 

多くの周辺部族に常に狙われていたコンスタンティノープルは、

あっという間に餌食になったのである。

 

文化面への遺産は、帝国との商業関係が甚だしかった

ベネチアやイタリア南部に引き継がれ、やがてヨーロッパへ

ルネサンスを齎した。

 

かくして帝国は崩れ、新たな帝国への滋養となっっていったのである。

 

ビザンツ帝国-千年の興亡と皇帝たち (中公新書)

ビザンツ帝国-千年の興亡と皇帝たち (中公新書)

  • 作者:中谷 功治
  • 発売日: 2020/06/22
  • メディア: 新書